質問者:ディーン・ロジャース(Dean Rogers)LRN APAC シニアバイスプレジデント
回答者:タイ・フランシス(Ty Francis MBE)LRN 最高アドバイザリー責任者/エグゼクティブチーム
ディーン:
先日、東京アメリカンクラブで日本企業の倫理・コンプライアンスをリードされる皆さまから、多くのご質問をいただきました。時間の都合でお答えしきれなかった質問について、私からタイへの質問形式でディスカッションしました。日本で実際に機能する行動規範とは何かを本質と運用の両面から掘り下げます。
ディーン:まず最初の質問はサプライヤー コンプライアンス基準の整合について問います。
「サプライヤーや取引先に、自社と同等の倫理・コンプライアンス基準を求めるべき範囲はどこまででしょうか。」
タイ:
求めるべきは「同じ規程」ではなく「同じ価値観と原則」です。重要なのは、企業として何を大切にしているか、その結果としてどのような行動を期待するかを、サプライヤーと共有できているかどうかです。
2025年版 行動規範レポートでも、第三者管理(サードパーティ・マネジメント)は先進企業の 8 割以上が規範に組み込んでおり、重要リスクとしての位置づけは年々高まっています。
日本企業に適した進め方として、以下の3点が基本になります。
- 最低限守るべき事項を明確化する。
不正・贈収賄防止、人権尊重、個人情報や機密情報の適正管理、報復禁止などは取引先にも適用対象とすべき「必須事項」です。 - 取引先の規模・リスクに応じて水準を調整する。
大手商社と地域の物流事業者では、期待する管理レベルは当然異なります。リスクに応じたメリハリが必要です。 - フォローアップを関係管理の一部として組み込む。
定期的な誓約書の更新、必要な教育コンテンツの提供、サプライヤーポータルを活用した管理などが有効です。重要なサプライヤーには、自社のヘルプラインや通報窓口へのアクセスを許可する企業も増えています。
目的は「自社ルールの押し付け」ではありません。
バリューチェーン全体の行動レベルをそろえ、企業ブランドと法令遵守を守ることです。
ディーン:次に行動規範の理想像についての質問です。
「8つの要素を満たす理想的な行動規範の企業例を教えてください。」
タイ:
LRN のフレームワークでは、効果的な行動規範は
「トップのメッセージ/価値観/適用範囲/声を上げること/リスク領域/理解促進/使いやすさ/デザイン」の8つの要素で構成されます。
日本企業からも優れた事例が多数出ています。
- トップメッセージ(Sony):
トップメッセージと価値観を同じページに並べ、企業としての姿勢を強く打ち出しています。
- 目的・価値観(塩野義製薬):
コアバリューを明確に示し、それを行動につなげる部分まで整理されています。
- 声を上げること(Howard Hughes):
相談・通報手続きがわかりやすく、匿名性やプライバシーへの配慮も丁寧に説明されています。
- リスク領域(PG&E):
新興リスク(AIなど)も含め、現場が参照しやすいカテゴリーで整理しています。
- 理解促進(Western Union):
Do & Don’t、用語の定義、関連規程へのリンクなど、即使える工夫が随所にあります。
- 使いやすさ(パーソルグループ):
ウェブベースでスマホからも閲覧しやすく、利用状況の分析も可能です。
理想的な行動規範は「分厚い文書」ではなく、社員が判断に迷った瞬間に使えるツールです。
ディーン:非上場企業こそ投資対効果を明確にしたい、という観点で質問がありました。
「特に非上場企業にとって、行動規範の高度化にはどんな具体的なメリットがありますか。」
タイ:
非上場企業こそ、行動規範の質が企業価値に直結します。主に3つの効果があります。
- リスクの未然防止と意思決定の向上
日本では「行動規範を活用した経験がある社員」が 49%と、世界平均(70%)を大きく下回っています。
行動規範を“参照する文化”ができれば、不祥事や判断ミスを確実に減らせます。 - 取引先・金融機関・監査法人からの信頼向上
上場の有無に関わらず、外部からの評価は強化されています。質の高い行動規範は「ガバナンスの成熟度」を端的に示します。 - 組織文化の一体化
国内外拠点間や部門間の判断基準を揃えることで、業務運営がより安定し、将来のIPO準備にも役立ちます。
行動規範は「義務的な文書」ではなく、企業経営の基盤資産と捉えることが重要です。
ディーン:行動規範を経営資産として位置づける視点は非常に示唆的です。一方で、日本では就業規則が重視されるため、行動規範が形骸化しやすいという課題もあります。そこで次の質問です
日本では就業規則が重視されるため、行動が形骸化しがちです。実用性を高める方法は?」
タイ:
日本特有の課題ですが、ポイントは「役割の違い」の明確化です。
- 就業規則:守るべき最低基準(義務)
- 行動規範:判断の拠りどころ(価値観・行動基準)
特に日本企業で効果が高いのは次の3点です。
- 事例・ケーススタディの活用
日本の社員は「状況に応じた適切な判断」を重視するため、シナリオは非常に有効です。 - 管理職コミュニケーションへの組込み
日本企業ではミドルマネジメントの影響が大きく、上司の言葉が行動に直結します。
行動規範をマネジャーの会話ツールにすることが重要です。 - 価値観との紐づけを明確にする。
規則ではなく、「当社はどうありたいか」を示すことで、社員の腹落ちにつながります。
ディーン: 「日本では行動規範の改定に取締役会承認が必要で、更新が遅くなりがちです。どう機動性を確保すべきでしょうか。」
タイ:
鍵は、ガバナンス(承認)と更新作業(運用)を切り分けることです。
- 取締役会:企業の価値観や基本方針といった“本体部分”を承認
- 経営側:リスク領域、法改正、相談窓口など“運用情報”を随時更新
実際、45%の企業が年1回以上、何らかの更新を行っています。
日本企業でも有効な方法は:
- モジュール方式の採用(AI・データ・通報制度などを独立更新可能に)
- デジタル版行動規範の導入(更新が容易で社内周知もスムーズ)
- 更新権限を定めたガバナンス方針の策定
取締役会は「重要事項の監督」に集中し、日々の更新は管理側で行える体制が望ましい姿です。
ディーン: 承認プロセスと更新作業の切り分けは、機動性を高める重要なポイントですね。では、組織全体の運用に目を向けます。
「ESG や製品安全、貿易管理などを倫理・コンプライアンスと一体運用するには?どのように「縦割り」を防ぐべきでしょうか?」
タイ:
先進的な企業は、縦割りで進めるプログラムをやめ、共通の価値観を基盤とした統合的なガバナンスへと移行しています。効果的な行動規範の8つの要素が、組織全体をまとめるための枠組みを提供します。特に次の3つのモデルが高い効果を発揮しています。
- クロスファンクション型の倫理・コンプライアンス委員会
法務、人事、品質、ESG、事業部などが定期的に議論し、基準やメッセージを統一します。 - 単一の企業行動規範を基盤に、専門領域のポリシーを階層化する
製品・ESG・貿易などの専門領域を「根本の原則(行動規範)」と紐づけて整理します。 - データによる優先順位づけ
研修データ、ヘルプライン傾向、行動規範の閲覧の分析など、クロスファンクション型のデータ分析が全社リスク管理を強化します。
重要なのは、統合=一元化ではないことです。
社員が「一貫したメッセージ」を受け取れるようにすることがゴールです。
ディーン:最後の質問です。「RBA など外部基準を取り込みつつ、ダブルスタンダードを生まないためのポイントは?」
タイ:
最も重要なのは、自社の価値観・目的を最上位に置き、外部基準はその補完として整理することです。
日本企業に特に有効なのは次のアプローチです。
- グローバル共通の「当社の姿勢」をまず定義する。
- 外部基準が補強する部分を明確にし、当社価値との関係を“見える化”する。
- 現場社員が混乱しないよう、対応表やわかりやすい解説を用意する。
また、
- 単一のグローバル行動規範+各国法規制を補うローカル版を提供
- 地域ごとに基準を「厳しすぎる形」で差別化しない
- 外部基準導入時は「なぜ必要なのか」を丁寧に説明する
といった工夫も効果的です。
一貫性が信頼を生み、信頼が倫理的な企業文化を育てます。
ディーン:では、締めくくりとして、今日のディスカッションを踏まえ、企業が行動規範をどのように位置づけ、活用していくべきか――皆さんへメッセージをお願いします。
タイ:
現代の行動規範は、単なる規程集ではありません。
社員がその場で判断し、迷った時に立ち返る“実務の道しるべ”です。
行動規範を“企業活動の中で活かすツール”として位置づけている企業では、
エンゲージメントが高まり、文化が強化され、インシデントが着実に減っています。
東京でお会いした皆さまからのご質問はどれも示唆に富むものでした。本稿が、皆さまの社内体制の進化に少しでも役立てば幸いです。ディーンやAPACチームとのフォローアップをご希望の際は、どうぞお気軽にお声がけください。
次回の来日にて、また皆さまとお会いできることを楽しみにしております。